バーバラの午睡

主婦の気晴らしお楽しみ。例えばメイドカフェとか。チョコミントとか。

!!ネタバレ注意!!お出かけ記録_「目 非常にはっきりとわからない」展に、がっつりやられて来た話

<!!!注意!!!>
この記事は、現在千葉市美術館で開催している「目 非常にはっきりとわからない」展について、私が行ってきた時の個人的な記録です。
この展示の、「行く前には知らない方が良い、この企画の一番重要なポイントについての記述」、いわゆる「ネタバレ」があります。
更に、この展示の詳細な内容と、私個人の感想が濃いめに書かれています。
なので、展示に行く前の方は絶対に読まないでください。絶対に。フリではなく!
というか、行ってない方は本当に今すぐ行ってきて欲しいわぁ〜本当に!
(更に、行った方でも、ご自身の持った印象や思いと異なる意見を聞く事に気が進まない方も、読む事をお勧めしません。)
本当は会期終了後に記事をアップしようと思ってたんですけども、やっぱり会期中、まだあの場に「あれ」があるタイミングで、実際に行って体験した人と、この興奮を共有したいという欲に負けました。心の弱さをお許しください。







【2019年12月】

私は美術に関する素養は無いんだけど、面白くて目新しい事は大好きで、「新しいなにか」を見せてくれそうな場に心惹かれる。
先日「目 非常にはっきりとわからない」という美術展の情報を得て、その後「ネタバレ出来ない」「衝撃」などのツイートも目にするようになった。
こうなると、何しろ気になって仕方ない。12月某日、娘(中学生)と二人で行ってきた。

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初めて訪ねる千葉市美術館。11時頃着いてみたら、チケット売り場は長蛇の列。
前評判通りの混み具合。列に並んでチケットを求める。
並んでいる最中に、今回の展示に関する注意を受ける。場内は、1Fは撮影可だが、7Fと8Fは携帯・スマホの操作禁止、撮影禁止。また、場内の床に貼られたテープのラインの内側から出ずに鑑賞するようにも言われる。
そして、購入時にチケットに名前を書くよう言われたんだけど、このチケットは会期中何回でも再入場可能だそうだ。へぇ〜。太っ腹!


今回の展示は、千葉市美術館のリニューアルに伴うインスタレーションと聞いていた。
なので、チケット売り場の待機列であるホールの中で、梱包した彫刻と思しき梱包物があったり、脚立が置いてあったり・・・というのは「なるほどこういう展示ね」と納得。

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1Fホールはこんな感じ。(週末はこのホールはチケット待機列だったけど)

そして、青い養生シートの貼られたエレベータホールから、エレベータに乗り、会場へ。
会場は7階と8階に別れているらしい。どちらから見れば良いか分からなかったけれども、とりあえずエレベータで7階のボタンを押下。

7階に到着すると、そこは正に「改装中の美術館」
あちこちに段ボールやら木箱やらが置かれ、壁を保護する半透明のビニールシートが張られている。
娘は釈然としない様子で「ふーん・・・こういう感じなんだ・・・」と呟いている。
フロアは大きく「ガラスケースに絵と巻物と屏風が展示された、美術館の展示室っぽい部屋」と「壁一面の大きなベニヤ板に茶色のペンキ?接着剤?のような物が記号のようにブロック分けして塗られている部屋」と「いかにも現代美術っぽいオブジェがある部屋」の3つに別れている。
それぞれは通路で繫がっていて、フロアを見て回る。

全体、「改装中そのまんま」という感じで、ガラスの割れた額が床に置かれていたり、床にブルーシートが敷かれてたり、釘やネジの入ったワゴンが無造作に置かれていたり、掃除用のバケツがあったりする。
娘は通路の床を見て「あ、雑巾が敷いてあるね・・・」と言っている。そんな雑然とした場内。
現代美術っぽい部屋は、部屋の奥に、何か黒っぽい物が糸状の物でいくつも繋げられ、それが吊り下がっている。
近付いてよく見ると、黒っぽいその物体は時計のムーブメントで、一つ一つが時を刻んでいる。
更に、壁には宇宙から見た惑星のような、モヤモヤした色と模様の巨大な円盤状のオブジェが掛けられている。
オブジェは2つあり、一つは茶色っぽい色合い、もう一つは青っぽい色合い。

尚、この現代美術っぽい部屋にも、作業用の足場のような物があり、箱や大工道具などもあちこちに置いてある。円盤状オブジェの下の所には、作業員の人が忘れたように、腰に付ける工具袋が置いてある。
そんなこんなで7階を一通り見て、「じゃあ次は8階に行くか」と、上に行くエレベータに乗って、8階を押し、到着して降りる。

すると。
そこには、さっき見たのと全く同じ景色があった。

「ん?エレベータ動いてなかったんじゃない?」と娘。
いや実は、私は事前にTwitterをチェックしてて(ネタバレはなかったものの)、更に見ている最中に漏れ聞こえる人々の言動から、大体察しが付いてしまっていたんだけどね・・・。(こういうのつまらんのだけども)
そうだねうふふ、と娘の言葉を聞き流し、再度フロアを見て回る。
さっき見たのと全く変わらない。まるで同じ。
娘が「あっ・・・これもしかして、7階と8階で同じなの?」
どうもその通りみたいだよ。

ちなみに、階の移動に階段は使えず、エレベータのみ。そして、各階エレベータホールの階数表示は、ご丁寧にもボードで養生されていて見えなくなっている

8階を見て回る。何から何までさっきと一緒、のように見える。
さっき「雑巾が敷いてあるね」と言ったその雑巾も。そして、その傍らに落ちているひっくり返った使い捨てスリッパも。同じ。さっきと同じ。
いやこれはもう一回7階を見てみよう、という事で、下行きのエレベータで7階へ。

エレベータを降りる。
さっきと同じ。
わーー!ほんとに同じー!スゲー!と見て回る。なにもかにもさっきと同じ。
今度はもうちょっと細かく見る。梱包物に貼ってあるガムテープとか。ブルーシートに跳ねている汚れとか。無造作に置かれたくしゃくしゃの紙とか。

そして再び8階へ。細かく見た所をもう一度見直す。
同じ。ガムテープに書かれた文字も。貼ってあるガムテのよれ方も。ブルーシートに跳ねたピンク色のペンキも。くしゃくしゃの紙も。同じ。全部同じ。
「あああ?えええ?」と言いながら、もう親子して「あちこち見る」→「フロア移動して又見る」というのを繰り返してしまう。

「何か違う所があるんじゃないかな!そうだ、展示室の大きさを歩幅で測ってみよう!」と、ビニールテープで区切られた立ち入りOKのエリアを歩いて何歩かを測る。
そして、フロアを移動してしばらくの後、展示室で「よし歩幅で測るのもう一回やってみよう」と、もう一度歩数を数えながら歩いていると、娘から「・・・おかあさん、それさっきこの部屋でやったよ・・・?」と言われて、私は相当に混乱した。
えっそうだっけ?7階から8階へ来たんじゃなかった?
移動は・・・したよね?あれ?もう一回移動して、この部屋に戻ってきたって事?
えっそうなの?そうだっけ?どうだった?
わーー・・・分からない。

AとA’がある。二つは限り無く同一(のように作られている)。
Aを見る。次にA’を見て、Aとの差異を見つけようとする。
でも両者は限り無く同一なので、得られる情報は「(ほぼ)同じ物を見た」というだけだ。
違うのは「7階か8階か」「先に見たか後に見たか」という自分の記憶だけである。
さっき見た物と今見た物は違うのか?
私はこれと同じ物を見た・・・気がする、でもそれはいつだった?5分前?30分前?
それぞれ違う個体を見たのか、それとも同じ個体を見る回数を重ねただけなのか?
同じレイヤーが沢山重ねられて、記憶と認識が揺らぐ。
自分が何を見て、どこに行き、何を検証しようとしていたのだかも分からなくなる。

そう、この展示を知ろうとして、見て、動いて・・・という行動を繰り返すほどに、「見るという行為と記憶の不確かさ」にはまり込んで、混乱の度合いが増していくのだ。

時間が経つ毎に、動けば動くほどに、同時に不安もいや増していく。

そしてもう一つ。
「足元に落ちてるゴミ一つにも、人の作為がある」っていう事の怖さったらないのだ。
その辺に転がってる段ボールの端っこ一つだって、そこにあるべき意味を持ってそこにある。部屋全部、フロア全部がそういう状態。
私が普段生きている世界で、無造作に置かれた物は「無造作」以外の意味を持っていなかったのに。
ここにある物には全部全部ぜーんぶ、意図が与えられてそこにある。
ものすごーーい圧のある空間。重い。重すぎる。

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これは1Fの撮影可能エリアだけど、7F8Fも大体こんな感じ。全て作為って(泣)

そんな訳で。
認識はぐらぐらで、空間は濃すぎて、かき立てられる不安。
だけど、でも、見ずにはいられなくて、フロアの往復を繰り返す。
そして娘と「割れた額のひびの入り方が同じだった」とか「バケツに垂れたゴム手袋も一緒だった」とか言い合う。

しばらく滞在していると、途中で「微妙な展示物の位置変更」が行われる事に気付く。
部屋にスタッフらしき人が入ってきて、展示物の位置を変えたりする。
私が見たのは以下。
・ベニヤ板の壁を、男女二人で動かして、裏の白い面が見えるようにして固定。その後、部屋の中の梱包物や木箱を動かし、再度壁を元に戻す。
・円盤状のオブジェに(いつのまにか)布が掛けられていて、脚立を立ててそれに登って布を外す。布は畳んで足元に置く。脚立は脇に置く。
・時計のオブジェ前の白いビニールのカーテンを閉め、その前に配置されていた足場や梱包物を動かし、再度カーテンを開ける。
・円盤状のオブジェの前の梱包物や作業道具の入ったワゴンを動かす。
などなど。

この「作業」をしていたのは、作業服のようなラフな服装の男女。
制作関係者なのか、役者なのか、はたまた運営スタッフなのか分からない。
ちなみに彼らは、ぱっと見の印象だけで言えば「美術館の改装作業のスタッフ」にしか見えない。
そして皆、各階の整合性に神経を使うような様子もなく、「普通に作業っぽく」荷物を持つ。そして数m場所を動かして、置く。
男性がポケットからスマホを取り出してちらりと見たくらいで、それ以外には特に細かい気を遣う様子も見せず、ざっくりと作業をしていく。
オブジェから外した布も、二人がかりで畳み、それを足元にポンッっと無造作に置いている。
どうやら、展示はこうやって「ちょいちょい変わる」らしい。

こっちがこうなってるって事はあっちはどうなってるの?ダッシュで見に行くと、元のままだったりする。
でも、更に時間を置いて見に行くと、又違う状態になってたりする。
「2つのフロアの違う所を見付けるというのが今回の主眼ではないようだ」とそこで気付いて、またモヤモヤする。

エレベータに乗ったり降りたりしては何回も娘に「ねぇ、ここ8階だっけ?どこだっけ?」「えっ?ここ何階?」と聞いて、「うーん、8階」とか「7階だよ」とか、答えてもらっている。
でも、自分のいる場所がどこなんだかはっきりしない、不安な事に変わりは無い。
自分の感覚の寄る辺なさに「ああもうダメだ・・・分かんないや」とつぶやいて又うろつく。

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今回、エレベータが非常にいい仕事をしている(これは1F)


そうこうしているうちに何だかもうぐったり疲れて、7階にあるミュージアムショップに移動。
ミュージアムショップは、養生のビニールシートで区切られた奥で通常営業していた)
そこに広がっている「置かれている物に取り立てて意味のない、普通の世界」に、心底ほっとする。
そして、そこで今回の図録が予約販売で、申し込むと後日自宅に発送になる事を知り、予約する。楽しみ。

そして更に館内を見て回って、さすがにぐったりしたので「ちょっと疲れたから、一旦ご飯食べに行こう」という事になって、館外に出る。
(ちなみにお昼は、近くの「パントリーコヨーテ」というハンバーガー屋さんに行きました。
めちゃくちゃ美味しかったです。又食べに行く!)
満足と共に店を後にして、「よしもう一回戻ろう」って事で再度美術館に戻る事に。

途中道を歩きながら、道にはらはらと落ちている銀杏の葉を見て、「ねぇ、この銀杏の葉っぱもヤバいよね」「あっおかあさん、葉っぱの位置ずらしちゃダメだから」と言い合う。完全に展示にやられている我々。

そうして会場に戻り、再入場。
エレベータに乗って再度8階へ行き、もう一度周り、そして7階へ。
やっぱり「分からない」事に変わりは無い。

「そしたらそろそろ帰ろうか」となった時、最後に一度、きっちりした答え合わせがしてみたくなった。
会場内の各ポイントを観察して、別フロアに行って同じ所を見ても、移動している時間で記憶は揺らいでしまう。
なので、エレベータ脇の展示の状態をしっかり見て、そしてそのまますぐエレベータに乗り、もう一つのフロアのエレベータ脇を見れば、短時間の移動で済み、納得出来る比較検証が出来ると思ったのだ。

なので、まずはエレベータ脇の様子をじっくり観察。
そして頑張って記憶に留めた所で、すぐエレベータに乗り、降りてまたすぐに観察。

結果。全く同じ。同じなんだよー!(分かってたけど)
ビニールシートに付いたペンキの輪染みの具合。段ボールの上に置かれたガムテの色と数。落ちてるゴミ。何もかもが一緒。

「本当の本当に全く同じだった」
という事を明確に突きつけられた時点で、私はなんだかちょっと泣きそうになった。
(大げさに言うと)この空間は全て「彼ら」の手の内にあって、この場にいる限りそのコントロールから逃れる事は出来ない。
この事をまざまざと思い知って、その圧倒的な状況に、(更に大げさに言うと)生殺与奪が握られてるように感じて「無理じゃん・・・」とくずおれそうになったのだった。
その時の感情に名前を付けるとすれば「プチ絶望」という感じ。

そして同時に心底「ヤバい」と思った。
ヤバいというのは現在では表す範囲の広い言葉だけど、それを全て包括した感覚。
まずは、自分の認識の足元が揺らいだ事を「ヤバい=不安」と感じたのが一つ。
更にそこにプラスして「これが現実世界で体験出来るというのが本当にすごい」「感動した」というような肯定的な感情。
更にもう一つ、「こんな事やれる奴が怖い」という感情もあった。
まず、こういうアイディアがあり、それを練り上げて、ここまでの精度で鑑賞に堪えうる物を作り上げられるという事。
その事が、私の思う「人間の能力」の範囲を超えていて、正に想定外だった。
その「理解を超えた所で活動する人がいる」という事に、「恐れ」であり、そして「畏れ」でもある感情を持ったのだ。

そういう、色んな感情がない交ぜになった、それでも他では決して得られない感覚を得た時点で、私の中で今回の展示はある意味「腑に落ちた」気がした。
娘も見るべき物は見たという様子。なので、帰路に就く事に。

帰りがけ、1階のホール内の展示を見る。1階エレベータホールの脇に無造作に置かれた段ボールの束を見て「ああ・・・」と呟く。
全ての物の配置に意味を考えてしまい、1Fの様子は入場した時とはまるで違って見えた。

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こんな段ボールの束に反応してしまう親子。

いや本当にすごかったね。すごい物を見たね。と言い合う我々。
これは見たと言うべきなのか、体験したと言うべきなのか。
分からないんだけども、何はともあれ、この会場に足を運んで本当に本当に良かった。
この展示は多分もう2度とは見られないだろう。これは僥倖ってやつだよ!

追記1:帰ってから調べたら、会期の最終日にはこの展示の作者の解説的な物があるらしい。でも聞きたいような聞きたくないような。
私は、自分が得た「驚きや不安や絶望や恐怖や揺らぎや感動」が、この展示の解だと自分の中で了解している。
なので、作者の解説を聞いてしまうと、それが「正解」で私の得た感覚が「別解」になってしまいそうでなんかイヤなのだ。
(じゃあなんで図録申し込んだんだよ!ってなるけど、それは読み流してフーンなるほどね!程度に見れば良いけど、作者の実際の言葉を聞いちゃうとどうしてもそっちに流される自信があるので)

追記2:LINEのオープンチャットで、今回の展示について語り合う場というのがあって、喜び勇んで参加。
ネタバレ含みのトークを思う存分見て、やっぱ気になるじゃん!って事で、後日もう一度行きました。
その時に、また「作業」している人達がいたんだけども。その時の所作が、前回見た時と全く同じ・・・。
手順もだし、気付いたらスマホをちらっと見たりするタイミングも一緒ではなかろうか・・・。
(と思ってオープンチャットで聞いたら、何度か同じ作業を見た方が仰るに、作業中に物を取り落とす動作まで一緒だったとの事。怖っっ!)
そうやって考えると、「モノ」を巡って時間と記憶を揺らがせていたのを、更に「人」を使って強化しているような。
そして、同じ所作を繰り返すって事で、あたかも同じ時間を再度体験しているような、タイムループを覚えさせるような面を強化しているような気がしたことだよ・・・。
やっぱりあの場は、空間も感覚も時間も「彼ら」に握られている・・・!(と思える楽しさったらね。やっぱし最高だわ。)