バーバラの午睡

主婦の気晴らしお楽しみ。例えばメイドカフェとか。チョコミントとか。

おかんアートの集大成「ニッポン国おかんアート村」を語らせて欲しい。

【2022年4月】
前から情報は知っていて、会期が始まってもずっと見に行けなかったが、絶対見に行かないと!と思っていた展覧会がある。
その展覧会とは、昭和の家庭でよく作られていた手工芸品を集めた、その名も「ニッポン国おかんアート村」

 

f:id:optimistbarbara:20220403014357j:plain


実家のサイドボード(って若い人分かるかなぁ・・・)、テレビの上(これまた、今時の液晶テレビの上に物を置くスペースはない訳だが)、下駄箱の上(えっ今は下駄箱って言わないの?シューズボックス?何それ?)とか、そういう所にさり気なくひっそりと、でも確実に置かれていた、良く言えば素朴な(そして言葉を選ばず言えば少々野暮ったい)、ちょっとした飾り物の数々。


展覧会の告知の写真に写る、「あああれもありましたね」「それもありましたね」「知ってますそれ」というあれこれ。
それを目にして、「絶対見たい・・・!」と思っていたのだった。

この展覧会、本当は、同じようなあれこれを目にして育った、実妹と一緒に見に行くはずだった。
しかし残念ながら予定が合わず、4月某日、会場のある渋谷へ一人向かったのだった。

外出自粛という言葉もすっかり鳴りを潜めて、若者達でごった返すスクランブル交差点を抜けて、会場の公園通りギャラリーへ。
入場時、検温と会場内の注意点の説明を受けるのだが、その気もそぞろになる位、圧倒的な「おかんアート」の集大成が、会場に入るやいなや目に入る。
すごいこれ。

 

f:id:optimistbarbara:20220403014507j:plain
写真がブレブレなのは許してください。

 

どうこう言うよりはこれは写真をご覧ください。
おばあちゃんちに、実家に、親戚の家に、ありますねこれ。
それも。あれも。

f:id:optimistbarbara:20220403014650j:plain

f:id:optimistbarbara:20220403014730j:plain
既視感がすごい、展示物の数々。


会場にそびえる、数々のアートの集合体、「おかんアートタワー」。
とにかく、この数である。数はパワーである。

一つ一つは、どこかの家のサイドボードや玄関にある限りは、「冷蔵庫に入ってるきんぴら」と同じ位に「あって当たり前の存在」だと思うのだけども、「生活の場から切り離されて披瀝される」事で、こんなにも、昭和生まれの心に深く響いてくるとは。
思いも寄らなかった。

ちなみに、会場は二ヶ所に分かれていて、もう一つの会場に進むと、更に多くの作品が一堂に会している。
あああ知ってます。お久しぶりです。まさかこんな所でお会い出来るとは。というあれこれ。

 

f:id:optimistbarbara:20220403015433j:plain
オールスターキャストという感じ。


特に、ウィスキーボトルの人形。
彼らを目にした時、旧友に遭ったような嬉しさと安らぎを覚えた。
どうもご無沙汰してました。会えるかな、と思ってたらやっぱり会えましたね。

f:id:optimistbarbara:20220403015528j:plain
昭和世代の昔なじみという趣の彼ら。


さて。
会場に来るまで、私には、おかんアートの数々を懐かしみつつ、正直ちょっと揶揄するような気持ちがあった。
なので「わぁ懐かしい〜」とか言いつつ、ニヤニヤ笑っておかんアートを見よう、そんな気持ちでこの会場に来た。

しかし会場を進む内に、私の気持ちは笑うどころでは無くなった。
泣ける。泣いてしまう。

花粉症の時期で良かった。一人で来ていて良かった。マスク必須の時期で助かった。
目に溜まる涙がこぼれないように気を付けつつ、流れる鼻水は適宜こっそり拭いつつ、会場をぐるぐる回った。

 

f:id:optimistbarbara:20220403015737j:plain
リボンを編んで作った魚たち。
こういうチュールっぽくて線が入ったリボン、最近めっきり見かけませんね。

まず、おかんアートは垢抜けない。
素朴過ぎるし、やっぱりどうしたって野暮ったい。昭和生まれの私からしたって。
しかし、"おかん"の皆さん達は、垢抜けた、スタイリッシュな物を作ろうとして、これらの作品を作る訳では無いと思う。
日々の生活の中で手に入る材料で、ちょっと生活に彩りを添えるような物を、手を動かし、自分たちの楽しみの為に作る。

誰かに求められる訳ではなく、作ったからどうなるという訳でもなく、生活の合間を縫って生みだされてゆくおかんアートは、山懐に湧きだす清水のよう、あるいは人知れず野に咲く花のようではないか。
そこには圧倒的な自由があり、そのイノセントさは、非常に尊い

会場内には、値札が付けられた状態で展示されている作品群もあった。恐らく道の駅の雑貨売り場や、イベント等で付けられたであろう値段。
売り物として見かけるおかんアートは、手頃な価格が付けられていることが殆どである。今回作品に付けられていた値札も、ちょっとびっくりするような低価格だった。

作品の傍らでは、来場者の「これ時給で言うと・・・どうよ」というような会話が聞こえてきた。時給で言うとこんなに割の合わない事はない。
これだけ世の中がコスパだ、工数管理だと言われている中、おかんアートに費やされる労力は、金額に換算される種類のものではないのだ。

f:id:optimistbarbara:20220403020242j:plain
ちょっと絶句してしまうような値札が付いた状態で展示されていた作品。

 

お金では測れない価値観が、これだけ全国広範囲に共有されて、その結果として生み出された物が集まっている。
それら一つ一つに、これを生み出した日本中のおかんの、生活の合間に費やされた、決して少なくはないであろう制作時間に詰まった、喜びや楽しさが息づいている。
全ての作品に、作者(きっとお姉さま世代)の日々の生活が透けて見えるようで、本当に胸に迫る。

 

f:id:optimistbarbara:20220403020649j:plain
こちらの、どこかでお見かけしたような風貌の白猫さん。
レインコートを着て、ちょっと見づらいですがお揃いの傘をお持ち。作り手の優しさが出ているよう。


ところで、今の世の中は、スマホで写真を撮って、ちょちょっと操作をすれば、インスタなりツイッターなりで、世界中の人に自分の創造した物を披露する事が出来る。
そういう事を前提として制作される物は、それはやはり「多人数の目に触れる」ということを、多少なりとも意識して作られているのでは無かろうかと思う。
対して、「おかんアート」の、世界の評価に臆しない、堂々とした力強さは、ある意味無邪気というか、良い意味の自分本位さがあり、SNS漬けになった身には爽快ですらある。

 

f:id:optimistbarbara:20220403020404j:plain
タオルを折って縫い合わせて作られた「タオル犬」、白だけでなくカラバリも色々。

来場者には若い人が多かった。しかし、中には私よりちょっとお姉さま世代の「リアルおかん」なご様子の方々もお越しになっていた。
彼女達にはこの作品群はどのように写るのだろうか、聞いてみたくなった。

ちなみに私の実母(←ガチおかん)を誘おうか一瞬思ったけど、連れてったらきっと、
「あらー!これうちにもあったわ!ほら見なさい、どれもこれも可愛いじゃないの!帰ったら久しぶりに私も作ろうかしら」
とかなんとか言って、張り切って作品を作って送りつけてきそうなので、声を掛けるのをやめたのであったよ。
(そう、見て楽しいのと生活の中にあって欲しいというのとは別、それがおかんアート・・・)

閑話休題
「おかんが物を作る」ということには、クリエイティブの原点とも言えるような、底知れぬ力がある。今回、それを実際に見て、感じることが出来たのが本当に良かった。


そして、これだけのおかんアートが集まっているという、数の力は本当にすごい。
展示の構成も素晴らしかったと思う。
とにかく、見に行って本当に良かった。
おかんアートよ永遠なれ。

【今日の総括】
私も、何かに向かう姿勢はこうやって力強く自由でありたい、いやそうであらねば。