バーバラの午睡

主婦の気晴らしお楽しみ。例えばメイドカフェとか。チョコミントとか。

お出かけ記録_「ヒグチユウコ展 CIRCUS」を見てきた話

先日行ってきた「ヒグチユウコ展 CIRCUS」の感想文を書きました。
私の思考ダダ漏れ感ありすぎる文章で推敲もろくにしていませんが、感じた事をそのままに記載しています。
※所々不穏当だったり失礼だったりする表現がありますが、私なりの作品から受けた印象であり感想であり賛辞です。

<2019年2月>
Twitterをやっていると、タイムラインで様々な情報が目に入る。そんな中で、私がフォローしている方にファンが多かったようで、ちょいちょい目にした画家「ヒグチユウコ」さん。
この方の個展の情報を目にして、更に出かけた先の本屋でもこの方の画集が平積みで売られてたりして、へーこういう人がいるんだー、個展やってるならちょっと見に行こうかな。位の気持ちで、平日の午後、仕事の早終わりの日に会場の世田谷文学館へ。

千歳烏山駅から歩くことしばらく。住宅街の細道をGoogleマップを見ながら(私のスマホは古いのでGPSがちょっとオバカさんなのでやや不安もありつつ)歩くことしばし、世田谷文学館に到着。
Web界隈の情報では「大混雑」という情報ばかり目立っていたけれども、会場を外から見る限り「今日は休館日ではないよね?」というくらいの穏やかさ。
やーやっぱり平日に来て良かった。
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入り口でチケットを購入、展示会場である2Fへ向かう。
館内には結構な数の人が。それでも混み合うというほどでは無い。
今回の個展の副題は「CIRCUS」。館内もそのイメージで装飾がされている。
赤を基調として、柱に絵が飾ってあったり、フラッグが下げられたりとあちこちデコレートされていて、祝祭感があって非常に気分が上がる
会場入り口はこちらも赤いカーテンで飾られており、これまたとても素敵。チケットを切ってもらって中へ。

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そして会場内は、やはり赤で統一された中に、見て!これも見て!あれも見て!というようにみっしりと作品が飾られている。
その中で最初に、入り口近くにあった、「CIRCUS」という文字を装飾的に表現した作品を見た瞬間、私は絶望とも諦念とも言えるような感情を味わった。

これはすごい。何しろすごい。
絵がこれでもかという細かさで、そして隅から隅まで気を抜けない描写。
目とか手とか耳とか蛸の足とか、ありとあらゆるモチーフで描かれたこの文字。
この小品だけで、飽きずにずうううっと見てられる。
そして同様のクオリティであろう作品がこんんんんなにも沢山待ち受けている会場。

ああ私には。これらの作品の一つとて記憶に留められる程の能力が無いだろう。
私はこの後、これらの可憐でちょっと怖いような作品を次から次に浴びるように見て、そのすごさに圧倒されまくって、悄然として帰るのであろう・・・というのが、この小品を見た瞬間に分かってしまった。
ああもう、仕事終わりに来るのではなかった。
仕事にエネルギーを使って、私の今のHPは70%という所だけども、それではこの場所には立ち向かえなかったのだ。睡眠も休養も取って、120%はないと無理であった。

 

とはいえ来てしまったので。であるからにはじっくりとっくり見ないと。
来たからにはせめて何か1個くらいはきちんと記憶に持ち帰ろう。この中で一番惹かれるモチーフは?そう蛸の足だわ。ということでまずは蛸の足をじっくり見る。
非常に細かく、あのざらっとしたにゅるっとした感じが黒のペン画で再現されていて、ちょっと不気味な感じなのに何故かすごく可愛い。何なんだろうこれは・・・。

 

どの作品も信じられない程に細かく繊細で、手放しで可愛いといえない、深淵を覗くようなほのかな不気味さがあり、それでもやっぱりどこまでも可愛らしい。
何しろすごい。とにかくすごい!
猫と蛸と蛇の合体した(!)ギュスターヴ君。絵本の猫達。ひとつめちゃん。Sちゃん。双子の少女。きのこ。草花。魚。どれもこれも目が離せない。
そういう圧倒的な作品の一つ一つを、じっと見てまた次を見て、としないといけない贅沢さと嬉しさと辛さよ。

 

ちなみに途中、余りにも圧倒的な情報量で、私の脳の鑑賞に使える領域がオーバーフローして、途中眠くなってしまった。
会場の隅で少し目を閉じて息をついてインターバルを置いて、再度鑑賞に向かった。そのくらいの充実度。

作品の全体的な感想としては「狂気と可愛らしさの上にぴんと張った綱の上を優雅につま先立ちで散歩しているようだ」と思った。
不気味さと蠱惑的な要素がありながら、出来上がった世界は何故かとても心地良くハッピーで可愛い。
文学で言うと、小川洋子氏の書く世界に似たものを感じた。触っていいのか分からないような人や事象が描かれつつ、圧倒的に魅惑的な世界で、つい惹かれてしまう所が。

数々の作品があまりにも出来上がりすぎていて、これが人の手によって紙に現された物とは思えず、何か大きな力の御技で紙にインプットされたものを見せられているのではないかという思いが拭えない。
(ちなみに、タイムラプス動画というのか?絵を描いている様子を早送りの動画に収めたものがモニタで上映もされていたんだけれども、それを見てもまだ信じられなかった次第)

こんなすごいものを作り出せてしまう人は常人ではない。
きっと、たった一人で家に閉じこもりきりで、寝ることも食べることも二の次に、この世界を創り出す事に没頭しているのだろう。
そしてきっと、「誰かと話す」とか「公共料金を払う」とか「電車に乗る」みたいな、普通に生きていく為の能力が大幅に欠けていて、その欠落した分が全て創造者としての才能に振り向けられているが故に、これだけのものが作り出せるのだろう、だからこそ一人の人間からこれだけの物が生み出されるのであって、そうで無いとこの可愛さと不気味さのあわいにこれだけの世界を作り出せる事の説明が付かない・・・と勝手に想像を膨らませていた。
しかし家に帰ってWebで調べたら、この作家の方は糸井重里との対談とかしてらっしゃるし、その中でご主人とお子さんがいらっしゃることを知った。信じられない。
あれだけの底知れない作品を作り上げる能力と日常生活を送る能力が、一人の人間の中にどうやって格納されて展開されているのか。仕組みが全く分からない。

というような事を私に思わせるような素敵すぎる作品群。
どの作品を見ても素晴らしいのは私ごときが言うまでも無い。本当に素晴らしい。
特に思った事が、猫が主役の絵本の原画なんだけども、登場人物(猫物?)が相手を抱きしめている絵の、その抱っこ感というか、重みや手触りのようなものがすごくこっちに伝わって来るんだよ・・・。温かさとか切なさとかそういうのが見てる私の中に立ち上る。あーもういいなあ・・・。

そしてまた、作品と展示会場が一体になって作られているこの場所自体が、密やかさや陰や毒のある中に心地良い温かさがあって、あーもうずうううっと入っていられる温泉みたいな。そんな感じ。

なので、全部の作品を(何とか)一通り見終えて、そろそろ家に帰らなくてはいけない時間になっても、会場から立ち去りかねて行きつ戻りつしてしまった。
それでももう私の受容力の限界で、へとへとぐったりになりながら展示会場を出る。
展示会場内の撮影は禁止だが、会場の外の館内にはいくつもフォトスポットが設けられていて(可愛い)、そこで写真を撮り、ミュージアムショップでポストカードを求めて退出。

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いやーすごかったな。
展覧会とか美術館に行った時、「楽しかった」と思う事が多いけど、今回は何しろ圧倒的に「すごかった」
ちょっと来てみようかな、と思って本当に良かったよ・・・。本当に・・・。素晴らしすぎてとても疲れたけども・・・。

【今日の総括】
軽い気持ちで出かけてすごい物に出会えました。こういう軽率さって大事だな。
いやもう本当にすごかった(ってそればっかり言ってる)。